ホロスコープの「たまごが先か?にわとりが先か?」問題
ホロスコープはなぜ読めるのか?
ホロスコープを読んでいて、
「その人となりを知っているから、
リーディングできたように感じるんじゃないか」
・・って思ったことありませんか?
あるいは、
「天体や星座、アスペクト、さらに小惑星などの細かい部分まで調べ上げないと、その人となりは見えてこない」
・・と信じていませんか?
これは"リーディング"という行為が抱えている本質的な問題でもあります。
つまり、
全体がわかっているから部分が分かるのか?
あるいは、
部分が分かっているから全体が分かるのか?
・・という問題です。
人間が先なのか?ホロスコープが先なのか?
たまごが先なのか?にわとりが先なのか?
ホロスコープを読むとはどういうことなのか?
これについては言語学の話がちょっと面白いので紹介させていただきます。
言語学の2つの立場
さて、言語学には相反する2つの立場があるんです。
一つは「細かい部分に分けることで全体がわかる!」とする立場。
もう一つは「全体がわからないと細かい部分はわからん!」とする立場。
以下の例文をみてください。
「僕はマックが好き」
前者の "細かく分ければ全体が分かる派" の立場では、
「僕」「は」「マック」「が」「好き」と一旦バラバラにして品詞や文法を明確にすることで全体の意味がわかると主張します。
う〜む、確かにその通りな気がしますね。
でも "全体がわからないと細かい部分はわからん派"の立場は、
いやいやそんな事はない!
全体の文脈がわからないと、マックが具体的に何を意味するか決まらないではないか! と反論します。
「僕はマックが好き。たまに食べたくなるよね。」
「僕はマックが好き。ウィンドウズよりも。」
たとえば上記の例では、同じ「僕はマックが好き」という文でも、全体の文脈を見ないとマックがマクドナルドの事なのか? アップル社のMacBookなのか?分かりません。
結局この「品詞や文法が先なのか? 全体の意味が先なのか?」の議論は、どちらも相容れぬまま平行線を辿ることになります。
現在はどちらが正しいかというのはなく、脳は同時進行でやっているのだろうと考えられています。
(言葉の"文法"を研究する分野を「統語論」、言葉の"意味"を研究する分野を「意味論」といいます)
ホロスコープリーディングも同じ
部分と全体を同時進行で認識することで、人間は言葉というものを理解している。
これはホロスコープを読むときも同じです。
人が先か? ホロスコープが先か? ではなく、
その人となりと、ホロスコープを同時進行で見ることで初めて正確な読みができるというわけですね。
その人の性別や年齢、国籍や育った環境・・etc などのあらゆる要素を加味しつつ、ホロスコープの象意と照らし合わせる。それによって初めてホロスコープは正確に読むことができるのです。
逆に小惑星やマイナーアスペクトなどの細部や、難しい技法を駆使しても、目の前の人を見なければホロスコープは読めない。
・・至極当然の結論に落ち着きましたが、一応基本的なことをちゃんと書いてみました。