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自分を愛するとは、ダメな自分を愛おしいと思えること

自分を愛するとは、ダメな自分を愛おしいと思えること

つぶやき, 人生・運命・学び, 感謝, 自己愛

"自分を愛する" の意味がわからない

・・自分のことを書いてみようとおもいます
 
自分を愛することが大切だとは言われるけれど、ずっとピンとこないでいました。

「自己否定感を手放しなさい」、とか

「自己受容が大切ですよ」とか、

みんないろいろ言うけれど、イマイチわかりませんでした。

憧れと現実とのギャップがつらかった思春期

子供の頃は、バックトゥーザフューチャーの"ドク" こと エメットブラウン博士みたいな
マッドサイエンティストになりたかったです。

数学や自然科学が好きで、
オイラーとかガウスみたいな数学者になりたいと思った時期もあったけれど、凡人すぎて無理でした。

(でも数学者のピーターフランクルと、ロナルドグラハムの影響で、ジャグリングを始めた。
ボールやクラブ、デビルスティック、シガーボックス…etc ルービックキューブ。 いろんな道具を練習して、上達していくのが楽しかった。こうした曲芸の趣味は、20年以上ずっと自分を支えてくれた)

数学者ロナルド・グラハムのイラストロナルド・グラハム博士

  
発明家に憧れた時期もありました。

エレキテルや"土用の丑の日"で有名な平賀源内、"からくり儀右衛門"こと田中久重、
江戸時代に望遠鏡をつくった国友一貫斎とか、そういう人たちの話を聞くのが好きだったのです。

平賀源内、田中重久、国友一貫斎のイラスト

(最近、QRコードを開発したデンソーのドキュメンタリーを見てすごくワクワクした)

なにかを作りたい! という感覚はずっとあったんだな。
これは、僕のホロスコープの天王星、水星、火星の配置から現れているのです。

 
僕のホロスコープでは、美的な感覚は海王星と月の配置、構造的な感覚は、天王星と水星で両立していました。
だから、アート的なものと、プログラミング的なものがどちらも好きになれたのです。

なにかを創りたい。まだ世にないものを発明してみたい。

こうした想いは、形こそ違えど、デザイナー兼エンジニア、という特殊なポジションの仕事につくことで、少しだけ叶えられたかもしれない。けれど、画期的なものを生み出したわけではない。

そして結局は「何者にもなれてない自分」をすごく感じていたのだった。

そして、
 
あぁ…結局、自分ダメだったな… 

という「自分への残念感」をずっと抱えたまま生きてきました。

30代からスピ系へ

ひょんなことから、気功に触れる機会がありました。

タロットと、占星術もこの頃から学び始めた。

それまで占いやスピ系には無縁の人生だったのに、
30代になると、なぜか導かれるように、そんな話をよく聞くようになりました。

友達の鑑定をすると、ありがたいことに友達の友達を紹介していただき、
1日6時間近く鑑定して話をする日もあり、話すことが苦手な自分としてはしんどいこともあった。
なんでこんなことをさせられてるんだろう?と思うことも。でも楽しいものだった。

 
気功ヒーラー養成学校へ通い、オンライン講座を受けたり、気功の先生の教えをたくさん学んだ。

気を感じたり、見えるようになるにつれて、

「この世界は、自分が思っていたものと違う」ということを知る。

これにはすさまじい衝撃を受けました。

その後、気功以外のエネルギーをいろいろと学び、
そして超能力者、サイキックの人たちを、目の前でたくさん見ました。
現在は、周り中そんな人ばかりなのですが、

ただ、
そんなエネルギーの強い人たちの中でまた、

あぁ…結局、自分ダメだな… という想いが湧いてきました。

何をやっても、このモヤモヤはやっぱりあるのか…と自己嫌悪に陥ることも多々ありました。


ダメな自分も愛おしいと思えたら

 

メンがヘラって気づいたこと

何をやっても中途半端な自分。 

器用でなんでもやるけれど、何者にもなれてない自分ていうのをすごく感じていて、
ずっとそんな自分を責めていたのです。

そしてメンがヘラってしまいました。つまり病んでしまいました。
もともとメンヘラ的な気質があったりしたのだけど、このときは本当にしんどかったんです。

多くの人に助けられて今生きています。 

自分の体への感謝

あるとき整体師の知人Sさんが、ぼくにこう言いました

「自分の体をもっと愛してください。自分の肉体は、一番身近な他人なんですよ」と。

そして毎日、自分の体に感謝を伝えろと言われました。

 
ご飯を食べて美味しいと感じられるのも、歩けるのも、きれいな景色を見れるのも、笑えるのも、泣けるのも、
全部、体が健康でいてくれているから。

馬鹿正直に、自分のからだに感謝を伝えているうちに、

これまで、それがあって当たり前だと思って生きてきたけれど、
じつは膨大な感謝の蓄積の上に、奇跡的になりたっていたんだ!とわかりました。

 
それからだんだん、ダメな自分を受け入れられるようになっていきました。

というか、ダメな自分じゃないよね!? と思い始めた。

別に何者にもなれなくても良くないか!? とか、
元気がない自分にも寄り添うことができるようになってきました。

そしてある夏の暑い日に、

「あ、もう自分大丈夫」
「自分は、必要なものはもう全部もってた」とストンと腑に落ちた瞬間があった。

自分を愛するという意味が、ようやく分かり始めた。

・・それは、優れた自分を愛でることじゃなくて、
ダメな自分を愛おしいと思えることだった。

何者でもないけれど、メンもヘラってるけど、それでOKだと。

そう思ったら生きるのがとても楽になった。

・・今回は占星術と関係ない話になっちゃいましたが、最後まで読んでくれてありがとうございましたm(_ _)m

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