閑話休題——懐かしいはずなのに行ったことない場所


たまには自分自身のことも書いてみようと思います。
ぼくは過去生や未来世、あるいはその他の情報を、夢で受け取ることがとても多いです。
懐かしいはずなのに行ったことのない場所にいる夢。
その波動を辿っていくと、さまざまな過去生や未来生、今いる宇宙の外側にある宇宙での、いくつもの人生とつながっています。
例えば、以下のようなものがあります。
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「やまがみさんちに行くよ」という声がした。
うろ覚えだが、父のような感じがした。どうやら家族と一緒らしい。
懐かしい感じがする山へ入っていく。そのまま山道を進んでいくと、一軒の古びた民家が現れた。
ドアは開いていたので、誘われるように家の中へと足を踏み入れた。
ここが「山上さん家」か…
家の中には長い廊下があった。妙に長い。普通の家にしては不自然なほどだ。しかも、ただの廊下ではない。なんというか、言葉にしがたい空気が漂っている。
神社のようで神社ではない。お寺のようでお寺でもない。神聖でありながらも、どこか厳かな雰囲気があった。
長い長い廊下を進むうちに、いつの間にか室内を抜けて、外へ出ていた。
・・・目の前に広がるその光景に、言葉を失った。
深い渓谷に囲まれた山中 とてつもなく巨大な滝が、眼前に現れたのだ。
巨大な滝は、轟音とともに流れ、白い飛沫をあげていた。
身体の芯まで振動するような音。水しぶきが頬を撫で、ひんやりとした湿気が肌にまとわりつく。
しばらくの間、その光景を前に、ただ立ち尽くすしかなかった。
ふと、岩肌に刻まれた文字が目に入る。
"山神参地"と書かれていた。
「やまがみさんち」とは…「山上さん家」じゃなかったのか…
ならば…ここは参拝する場所なんだろう…と納得しかけたけれど、なんか違う気もする。
よくみると巨大な滝の中腹あたりに岩があり、そこにぽつんと本堂とおぼしき建物が見えた。
滝が大きすぎて遠近感がおかしくなるが、それははるか遠くにあることがわかった。
そこへ向かうには、細く曲がりくねった参道を行く必要があるらしい。
参道はいくつもあり、遠くから見ると、それらの道はまるで絡み合う蛇(へび)のようにも見えた。
参拝客たちは一様に、本堂へと続く道を歩いていたから、その列に加わることにした。
途中、道の脇から温泉が湧き出している場所があった。すごい熱気だった。
そこを通ると息苦しさを感じた。熱い。まるで見えない手に胸を押さえつけられているようだった。
「苦しくても進む。怖くても進む」
…声がした。
その声からは、不思議だが、ニコっと笑う表情を感じとることができた。
一体ここはどこなのだろう… 現世ではないのか… …だとするとあの世…?
参道を歩いている列の一人に、思い切って尋ねてみた。
「私たちは死んだのですか?」
「いえ まだ生まれる前ですよ」と返答があった
…ここは生まれる前の魂が通ってくる場所だったのか…
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これは、ぼくが今生に生まれる直前の記憶を、夢で受け取ったときのお話でした。
たまに、このときの感覚がすごくリアルに、蘇ることがあります
ここまで読んでくれてありがとうございます^^
いろいろな記憶があるので、追々書いていきたいと思います。。
あなたも、懐かしいはずなのに行ったことない場所の夢をみることがありますか?
それは今生のあなたへの重要なメッセージである可能性があります。