そのさびしさの、奥の奥の奥にあるのは光

作家で医師の帯津良一さんが、何かの本で、
「人の本質はさびしさだ。 人はみな、さびしさの上に家をたてるのだ、
そのことを知っていれば歯止めが効く」
…と言っていた。
帯津さんはぼくが大好きな作家の一人だ。
彼は、やさしさの中で、その言葉を言ったのだと思う。
さびしくても大丈夫。
みんなそうだから。
さびしさを受け入れれば、いいんだよ、と。
…それは間違いではない。
けれど、ほんとうのことを言うと、
人の本質は、さびしさではない。
さびしさの、その奥の奥の奥までいってみると、
ただただ溢れんばかりの光があるのだ
生きていて、なにかふとさびしくなる瞬間、突然におそってくる空虚感が、ぼくにもある。
けれどそれは僕がまだ、自分の奥にたどり着いていない時だ。
さびしさが人間の本質だ、と思って生きなくていい。
そのさびしさは、太陽を覆い隠す雲みたいなものだ。
それは、カルマがまだ魂のひかりを覆っている状態にすぎない。
雲には切れ間が生じて、いつか光が差し込む。
カルマは浄化され、魂本来の輝きが溢れ出すときが、いつかくる。
その日を楽しみに、生きていきたい。
