もう一度あそこに行こう

目次
🔮 16歳の頃に、アメリカへ行った
高校1年生の夏休みに、家族でアメリカへ旅行へ行った。
ロサンゼルスとラスベガスに行ったんだ。
10時間以上のフライトを経て、ようやく見えてきたアメリカ大陸。
飛行機の窓から見ると、目下には赤い岩肌の大地が広がっていた。
それは、まぎれもなく"地球そのもの"だった。
そのあまりのスケール感に、とてもゾクゾクしたっけ。
LAも、ラスベガスも街を歩けば、カラっとした空気。
日本のようにじめじめしていないけれど、すごい熱気だったのを覚えている。
ラスベガスでは、砂漠の陽光にジリジリと焼かれるようだった。
ここにずっといたらガイコツになって死ぬなぁ… と思った。
街には、コンビニらしき店はなかなか見つからず、当時はペットボトルのお茶なんて売ってなかった。水もなかなか手に入らない。
飛行機の中でもらったミネラルウォーターは、日本の水と比べて硬度が高いのか、ちょっと飲みにくかった。
でもその水を大切に、少しづつ飲みながら、空港のエアコンで不自然に冷えた体を、すこしづつ暑さに慣らしていった。
飛行機に何度か乗り、いくつかのホテルに宿泊し、昼のLAの街を移動した。ビバリーヒルズを歩いたり、ナイキショップに行ったり。
日本ではほとんど見ないエメラルドブルーやシルバーの車が走っていた。
夜は決してホテルの外に出るなとアナウンスがあり、
あぁ、ここは日本ではないのだなと。そんなことがいちいち刺激的だった。
宿泊したホテルの窓から眺めた風景を、いまでも覚えている。
目の前には、人工的に作られたいくつものホテルや建物がギラギラと光る。
そして遠くには、岩肌の山脈がかすんで見えて、それはどこまでも続いていた。
真夏の日差しのなかで、砂漠と街が、不自然に共存していた。
夜中にホテルの窓ごしに目下の通りを見下ろすと、
つらなる車が、ランプを煌々と輝かせて、はるか遠くまで流れていた。
・・そんなこんなでいろんなことをして、ぼくは初海外旅行を終えた。
日本に帰国した夜に、たぬきそばをたべて、心の底から美味しかったのを覚えてる。
そして、地元の街がまるで箱庭みたいにちっぽけに感じたんだ。
今思えば、これって射手座的な体験だったな思う。
海外へ出ることで、意識がドカーンと広がってしまう。
射手座には "海外" という意味があるが、
それは海外へ出ることで、人の意識は大きく広がるからだ。
🔮 2学期に電車で倒れた
ぼくがパニック障害を発症したのはその年の2学期だった。
学校帰りの電車で倒れた。
救急車で運ばれて、家族が毛布を持って迎えにきてくれたことを覚えている。
それからは毎日が辛かったなぁ。
あぁ、もうどこにも行けなくなっちゃったなと思った。
もう一度、旅行に行きたいなぁと、毎日思っていた。
当時、ラスベガスでいろんなショーを見ている時に、父が言った。
「ちゃんと見ときな、もう二度と来ないかもしれないから」
あれから30年近い月日が流れて、この言葉通りになっちゃったなとふと思った。
…でも、大丈夫。
ぼくはまだ生きていて、ラスベガスなんて今なら直行便もあるし、明日にでもいこうと思えばいける。
生きているうちに、もう一度、あそこに行ってみようと思う。
今度は、小型機でグランドキャニオンのツアーにも行ってみたい。
人生というのは一度きりだ。
いくつかの来世も過去生も、みたことがあるけど、まったくの別人だった。
だから、自分として生きられるのは、この人生だけなんだ。
あなたには、もう一度いってみたい場所がありますか?
もしあるならば、行ってみてください。
そして、やりたいことを、やってください。
どうか後悔の無きよう、生きてください。
僕もそうします。
Yoda

